Contents
まるや八丁味噌:徳川家康も愛した伝統と世界への挑戦
愛知の味噌文化を語る上で、決して外すことのできない存在、それが独特の風味を放つ「豆味噌」です。驚くべきことに、日本の歴史に名を刻むあの徳川家康公も、この豆味噌をこよなく愛したと伝えられています。
家康公が生まれた岡崎城から西へ八丁(約870メートル)進んだ先に、岡崎市八丁町という場所があります。江戸時代初期から味噌造りの伝統を守り続けている「カクキュー」と「まるや」。これら二つの老舗が、今もこの地でその暖簾を掲げ続けているのです。そして、この八丁町で生まれた味噌は、その地名にちなんで「八丁味噌」と名付けられました。
-
まるや八丁味噌 -
カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
愛知の食文化を象徴する、あの濃厚で力強い味わいは、一体どのようにして誕生し、今日まで受け継がれてきたのでしょうか? 私はその秘密を深く探るべく、「まるや八丁味噌」を訪れ、その歴史と製法にじっくりと触れることができました。
「まるや八丁味噌」では、いつでも工場見学ができます。アットホームな雰囲気の中で、ガイドさんが製造所内を丁寧に案内してくれます。この日は社長の浅井信太郎さんが案内してくださいました!
見学の中で圧巻なのは、長い年月を経て使い込まれた味噌桶がずらりと並ぶ光景です。味噌をおいしくするためには、酵母や乳酸菌などの微生物にとって居心地の良い環境を作ることが大切で、その「マイホーム」として最も適しているのがこの木桶だそうです。この巨大な木桶の中で、味噌は二年以上の歳月をかけ、静かに、そしてゆっくりと熟成されます。
そして、もう一つ私が感動したのは、3トンもの重石を天に向かって円錐状に積み上げて安定させる職人技です。この重石は、味噌が出来るギリギリの水分で仕込んだ木桶の中で、水分が十分行き届くように圧力をかけ、旨味を凝縮させることで、あの芳醇で奥深い味わいを引き出すための重要な役割を果たします。石積み職人として一人前になるには10年ほどもかかるそうで、この話を聞いて、八丁味噌の伝統に対する誇りと、味噌への深い愛がなせる技だと心から感動しました。
「まるや八丁味噌」は、その長い歴史の中で、常に革新を続けてきたことにも驚かされます。彼らは日本の伝統を守りながらも、積極的に世界へと目を向けているんです。
実は、まるや八丁味噌は1960年代にはすでにアメリカへの輸出を始めていたそうです。そして1980年代には、アメリカの有機食品認証機関であるOCIAの認証をいち早く取得し、オーガニックで伝統的な製法での味噌作りを本格的にスタートさせました。これは、まだ「オーガニック」という言葉が今ほど一般的ではなかった時代に、いかに彼らが先見の明を持っていたかを物語っています。
そして、2003年には日本国内でも有機JAS認定工場として認可され、その品質の高さは国内外で広く認められています。
私が住んでいる場所から車でわずか45分ほどのところに、600年以上もの時を超えて受け継がれる醸造方法で、世界に認められる味噌を造り続ける老舗がある。誇らしい気持ちにならずにはいられません。
◇まるや八丁味噌
住所:愛知県岡崎市八丁町52番地
電話番号:0564-22-0222
工場見学:0564-22-0678
見学受付時間:9:00~12:00 / 13:00~16:20
定休日:12月31日~1月3日
浦野酒造:伝統と革新が織りなす「菊石」の物語
さて、次に私が向かったのは、豊田市にある「浦野合資会社 (浦野酒造)」です。実は以前、松平の天下祭に参加した際、このお祭りのためだけに造られる「祭り限定の酒」があると知って、とても感動したんです。地元と深く連携して、地域のための特別な一本を生み出すその姿勢が、本当に素晴らしいと感じました。だからこそ、この酒蔵を見学できることを心から楽しみにしていました。
私が特に感銘を受けたのは、2008年から浦野酒造で杜氏(とうじ)を務める新井康裕さんです。「杜氏」とは、簡単に言えば酒蔵における酒造りの最高責任者のこと。酒の原料選びから始まり、製造、貯蔵、そして品質管理に至るまで、酒造りの全工程を統括する、まさに「日本酒造りのマエストロ」なんです。
新井さんは、大学で微生物の研究に没頭し、企業で品質管理の経験を積んだ後、日本酒造りの聖地とも言われる越後杜氏(えちごとうじ)のもとで5年間も修行を積んだそうです。そして、30代という若さで念願の杜氏の座を射止めました。
彼のすごいところは、越後杜氏から学んだ伝統的な製法を基本としながらも、大学で培った醸造学の最新の知識や技術を積極的に取り入れている点です。新井さんの目標はただ一つ、「おいしい!」と心から言ってもらえるお酒を造り続けること。
彼の飽くなき探求心と日本酒への情熱が、浦野酒造の未来を切り開いているんだと、私は強く感じました。
日本酒は、麹菌の働きを精密にコントロールすることで、あの繊細で複雑な味わいが生まれます。麹や酵母といった「生き物」が関わるため、全く同じ条件で酒を造ることは不可能です。さらに、お米の出来は年ごとに異なり、日々の気温や湿度も絶えず変動します。
しかし、どんな状況であっても、「菊石」が築き上げてきた歴史ある味わいを忠実に再現するのが杜氏の仕事だと新井さんは教えてくれました。これはまさに、杜氏の熟練した技と経験、そして深い愛情がなせる業だと、私は心から感動しました。
科学的な知識と長年の経験から培われた五感が融合した、まさに匠の技で造られるのが「菊石」です。中でも特におすすめしたいのが、「菊石 純米大吟醸」。これは本当に素晴らしい一本ですよ。
口に含んだ瞬間、囁くように広がるのは、柔らかでフルーティーな香り。日本酒の中には飲んだ後にわずかな酸味が残るものもありますが、「菊石 純米大吟醸」は、その逆。甘さが口いっぱいに広がる後味は、気づけばまたグラスを唇へと誘うほどの美味しさです。
この「菊石 純米大吟醸」は、その品質の高さが認められ、権威ある全国新酒鑑評会で4年連続金賞を受賞しているんですよ。これほどの実績を持つ日本酒は、なかなかありません。まさに浦野酒造の技術と情熱の結晶だと感じました。
こんなに素晴らしい歴史と情熱を持った酒蔵が造る日本酒を、皆さんもぜひ味わってみたくありませんか?
浦野酒造 (浦野合資)
住所:愛知県豊田市四郷町下古屋48
電話番号:0565-45-0020
店頭売店:[月~金] 10:00~18:00、[土] 10:00~15:00
定休日:日曜日、祝日
日東醸造 足助仕込み蔵:旧小学校と湧き水が育む「白い奇跡」
さて、次に私が訪れたのは、日東醸造株式会社の足助仕込蔵です。ここは、私の家でも大活躍しているお気に入りの調味料、「しろたまり」を造っている会社の蔵なんですよ。
「しろたまり」は、日本の調味料の中でも本当にユニークな存在です。愛知県の碧南市が発祥とされており、この地域の食文化と深く結びついています。簡単に言うと、これは白醤油の仲間なのですが、一般的な醤油と大きく違う点があります。それは、大豆をほとんど使わず、小麦を主原料としていること。大豆の使用を抑え、短期間で熟成させることで、素材の色をそのまま活かしたい料理にぴったりの透明感を実現しています。そして、小麦由来の優しい甘みと独特のコクが感じられ、一般的な醤油とは一線を画す、まろやかで上品な風味が楽しめます。
実は、私がこの「しろたまり」に興味を持ったのは、「足助仕込み 三河しろたまり」という、私が住む地域の名前が入った商品名がきっかけでした。でも、今ではそのおいしさに完全に心を奪われ、手放せなくなっています。特に、炊き込みごはんやお吸い物などの和食を作る時には、もうこれなしでは考えられない、まさに魔法のような調味料です。
「しろたまり」発祥の地、碧南市に本社を置く日東醸造株式会社。しかし、その仕込蔵は、なんと豊田市の山奥にひっそりと佇んでいます。さらに驚くべきことに、その仕込蔵は、1980年代に閉校になった古い小学校を利活用しているのです。
「なぜ、海沿いの碧南市が発祥の調味料が、50kmも離れた愛知県東部の山間、足助で醸造されているのだろう?」
きっと、あなたはそう疑問に思うことでしょう。しかし、その疑問を抱く前に、もう一つ、私から謎を投げかけさせてください。なぜ日東醸造は、あえて人里離れた旧小学校で醸造を行っているのでしょうか?
この理由が知りたくてたまらなくなった私は、常務取締役の伊東盛明さんにお話を伺いました。
伊東さんの話によると、醸造において最も大切なのは「水」なのだそうです。日東醸造の社長さんは、ミネラルを豊富に含む天然水で最高の「しろたまり」を生み出したいという強い思いから、理想の水を求めて各地を巡ったそうです。そして、ついに足助町の山深い集落、大多賀で、まさに探し求めていた素晴らしい湧き水と出会ったのです。
当初の計画では、この水を碧南の本社まで運び、そこで「しろたまり」を仕込む予定だったとか。しかし、大多賀の豊かな自然環境、そして標高720mという夏でも涼しい冷涼な気候が、より淡い色の「しろたまり」を造るのに最適だと判明しました。この恵まれた環境で直接醸造すれば、きっとさらに素晴らしいものができるに違いない――社長さんはそう確信したのです。
まさにその頃、足助地区では、閉校となった「足助町立大多賀小学校」の校舎の新たな活用法を検討していました。そして、奇跡のように、小学校に残されていた井戸からは、日東醸造が追い求めていたおいしい水が、こんこんと湧き出ていたのです。
こうして1999年(平成11年)、小学校の校舎は外観の趣をそのままに、内部が仕込蔵へと改装されました。伝統的な木桶がずらりと並べられ、ここに「日東醸造足助仕込蔵」が誕生したというわけです。
伊東さんは、「おいしい水が湧き出て、豊かな自然に囲まれたこの場所は、私たち人間にとっても癒される場所です。きっと、木桶の中で働く麹菌や酵母にとっても、最高に居心地の良い場所だと信じています」と語ってくれました。
日本の伝統的な調味料が、こんなにも美しい場所で、自然の恵みを最大限に活かして造られていることに、私は改めて感動しました。
日東醸造株式会社
住所:愛知県碧南市松江町6丁目71番地
電話番号:0566-41-0156
※ 足助仕込蔵は特別に許可を得て撮影しています。現在、見学は受け付けておりません。
丸加醸造場&haccosido: 心が満たされる伝統の味、そして味噌蔵カフェ
豊田市越戸町の、穏やかな田園風景の中に、丸加醸造場は静かに佇んでいます。1927年の創業以来、彼らはこの地域に深く根差し、日本の食卓を支える発酵食品を作り続けています。
丸加醸造場では、昔ながらの製法で味噌、たまり醤油、そして漬物を製造しています。四代にわたって大切に受け継がれてきた「味へのこだわり」は、ただおいしいというだけではありません。どこか心が「ほっ」と安らぐような、日本の食文化が誇る贅沢な味わいを届けてくれるんです。それは、まるで故郷のおばあちゃんが作ってくれた料理のような、温かい気持ちにさせてくれます。
中でも私が特に感動したのが、創業時から使われている木桶仕込みの自家製味噌で漬け込んだ、その名も「山牛蒡味噌漬(やまごぼうみそづけ)」です。これは、日本の食通たちをも唸らせるほどの逸品だそうですよ。
この味噌漬は、地域の特産品を作ろうと試行錯誤の末に生まれたものだと聞きました。一口食べると、まず「カリッ」とした心地よい歯触りが心地よく、その後に味噌の濃厚な風味が口いっぱいに広がります。私の国ではゴボウを食べる習慣はあまりありませんが、この味噌漬けのゴボウは本当に美味しくて、すっかりお気に入りになりました。
その後、四代目の岩瀬浩司さんに案内され、敷地内にあるカフェ「haccosido」へ。店名は「発酵(hakko)」と、丸加醸造場がある「越戸町(koshido)」を組み合わせた、岩瀬さんの造語だそうですよ。遊び心があって、とてもセンスがいいですよね!
このカフェは、2021年まで実際に味噌蔵として使われていた建物を改装したもの。外壁は、日本の伝統的な建築技術である「焼杉」を使ってシックな黒色に統一されています。店内には、長年味噌桶として使われていた板が装飾として再利用されており、この場所が持つ歴史と醸造場としての誇りを強く感じることができました。
この洗練されながらも心地よい空間で提供されるのは、「発酵を取り入れながら、ちょっと丁寧につくった家庭料理」。私がこの日いただいたのは、なんと味噌を使用したチョコレートケーキでした。濃厚でいて、ほろ苦さの中に上品なチョコレートの甘みが広がり、その後には味噌の風味が素晴らしいアクセントとしてやってくるんです!
味噌がデザートにもこんなに合うなんて、本当に感動しました。近年、フランスのシェフやパティシエも味噌を料理やデザートに取り入れていると聞きますが、この一品はまさに納得の味でしたね。
他にもhaccosidoでは、土鍋で炊いた白飯とお味噌汁のモーニングや、発酵調味料をふんだんに使用したランチプレートなども提供しています。何度でも、そしてどんな世代でも訪れたくなる、素晴らしいカフェだと思います。
◇丸加醸造場
住所:豊田市越戸町上能田91
電話番号:0565-45-1001
店頭売店:8:30~17:30
味噌蔵見学:平日 9:00~12:00 / 13:00~17:00
定休日:土曜日、日曜日
◇haccosido
電話番号:050-3692-8540
定休日:毎週火曜、月に1度月曜 (月曜は不定)
営業時間:
・朝ごはん 8:00~10:00(L.O. 9:00)
・昼ごはん 11:00~15:00(L.O. 14:30)
・喫茶時間 14:00~17:00(L.O. 16:00)
日本の豊かな食文化と、それを支える職人たちの情熱に触れた愛知の旅は、私にとって忘れられない経験となりました。皆さんもぜひ、この地域の奥深い食の魅力を探してみてください!
コラム著者:ドリュー・マートネック
アメリカと日本の文化の橋渡し役を担いたいと、2010年に来日した翻訳家・マートネック ドリューさん。現在は愛知県三河地方の里山で暮らし、自給自足や発酵食を自ら手掛け、日本の食文化への理解を深めています。







